今月テーマは記事、”仏教壮年会夕べのつどい”の中の「食とはいのちをいただくこと」「大自然のはたらきを享受して」という2文です。
最近さまざまな場所、メディア等で「SDGs」という言葉を耳に、目にします。
日本語的には「持続可能な開発目標」と訳され、何やら難しそうな内容ですが、簡単にはヒト・地球が未来永劫続いていくための取組みといったところでしょうか。
細かくは17個の目標項目があり、今回そのうち「飢餓をゼロに」「安全な水とトイレを世界中に」が冒頭の2文にあてはまると考えます。
意見述の前置きとして「私は積極的に取組んでいます、高尚な志で日々生活しています」といったようなことを申し上げるつもりも、やっているつもりも一切ありません。
主観というより「主感」といったレベルで思うこと、それに基づいてやっている事を記し、読んだ皆様においても「SDGs」について考えられるきっかけとなればと思っています。
「食とは」について、私は原則「食い物を粗末にする」のが嫌いです。例えば茶碗にご飯粒を残したりができません。
が、原則としたのは嗜好上食べられないものも少数あり、例えば漬物類がダメです。添付が選択できる場合は断りを入れますが、弁当などに無条件で一口程度添えられるもの等、罪悪感、心苦しくも口にできず残します。
「大自然のはたらき」については「水」。いつも思うのは、日本という国で生きればトイレを流す、洗車に使う等、飲むわけでもない水がアフリカ局地の子どもたちの飲み水よりキレイで、蛇口をひねればジャブジャブそのまま下水へ、地面へ無意味に流れます。
私自身の「食」「水」の扱いも含め「コレが現実」ですが、生きている場所、環境が違うというだけで「これってアリなの?」というのが正直な感覚です。
「飢餓ゼロ」も「キレイな水」も世界レベルしか実現困難と感じますが、世界レベルの元素は「個人」である以上、食べたくても食べられない、飲みたくても飲めない存在がいる事を忘れず、「できることはやる」という意識や実践、今こうして居られる事への感謝の心は持っていたい。![]()
そんな事を考えさせられた今月のHP編集でした。




