子供の頃「ただいま」と家に入ると「おかえり」と返事が返ってきました。
また家に入りづらい時、そっと玄関の戸を空けると先に「お帰り」とやさしい声がかかる。
「ただいま」とぼそぼそということもあった。でも、親の元に還る安心、何かあたたかかな、ホッとした居場所であったことを今でも思い出します。
それぞれの形はあるにせよ、親子の様々な問題、悲しい事件が報じられることが茶飯事になり、本来ある親子のつながる温かさや、ぬくもりの感情が希薄になっている今ではそうしたことがスッと入らないこと、反発を覚えてしまう方もあるかもしれません。
以前は、慈悲や慈愛に満ちたお心を、私にかけ続けてくださっている如来さまのことを「親様」(おやさま)と慕ってきました。親のお慈悲のお心が、今、私の所に至り届いてくださるのが「南无阿弥陀佛」です。
なんまんだぶ、なんまんだぶとみ名を称えるまま、聞こえるまま「ここにいるぞ、安心せよ。決して一人ぼっちにはしないから 大丈夫だ。いつもそばにいて、ともに歩み、ともに浄土に生まれていきましょう」と喚んでくださっているのだと聞かせていただいています。
遠くから見守ってくださる親でなく、今私とともにいてくださる間違いない親心です。
今月の法語カレンダーの原口針水和上はまた、![]()
「罔極(もうごく)の佛恩報謝の情 清晨幽夜(しょうしんゆうや)ただ名を称う 悦ぶに堪えたり 我れ称え我れ聞くと雖も これはこれ 大悲招喚の声なり」
と味わいのお歌が残されています。




