流行禍感染対策を取りながら、2日間のおつとめさせていただくことができました。
この度のご講師は大阪市/善養寺・安徳剛典師にお取次ぎいただきました。
素晴らしい薬があってもその人の体や、病状に合わないと治るどころか危険な症状に陥ってしまうことがあるように、宗教や教えでも同じことです。
私に説いてくださった3つのお経さま、『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』「仏説阿弥陀経」は、阿弥陀さまが何から何までご用意の救いが説かれてあるのです。
仏教はよく山登りに譬えられます。
自分で麓から歩いて頂上を目指す登り方、何合目までか車で行きそこから登る方法、ロープウエイに乗り山頂までいくという方法等に譬えられます。
しかし、ロープウェイでも私が乗るという行為が残っていますね。
念仏は私には何一つ用事はない。私がここにいると山頂が届いていて、いのち終えるとその風景が広がるのです。
阿弥陀さまのお慈悲は、
“一願積んでは衆生のため、一行励んでは衆生のため、衆生のためなら、この弥陀は、凍る氷も凍らば凍れ、逆巻く波も立てば立て。
八寒紅蓮の氷の中も、焦熱無間の炎の中も、衆生一人弥陀一仏。実の子じゃもの親じゃもの、八万由旬燃えさかる、炎の中に飛び込んで、血煙あげて泣くものを、抱いて抱えて摂取して、蓮華の台(うてな)に乗せあげて、あなたがにっこり笑う顔見るまでは、引くに引かれぬ親じゃぞよと”
こちらには何も用事はないのです。
そして、仏と成らせていただくことは、すべての仕合わせを願い、相手の苦しみ、悲しみに寄り添い、目を向けていくことである。
と、お話くださいました。
<御同行・落合さんからの寄稿>
残暑はまだ名残を惜しんでいるようですが、長月となり、空は少しづつ秋の色を帯びてきたようです。
秋来ぬと 眼にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかさるる
9月10日は中秋の名月。法友より、ススキ、萩、お月見の花、団子を頂き、お月様にお祀りし、名月の夜をありがたく楽しみました。
何度となく外へ出ては月の出を確認。やがて見事な赤いお月様を拝むことができ、感動、嬉しさも相まって、思うがまま俳句をしたためた次第です。
合 掌
(※構成都合で原文を編集させていただきました)
《存仁寺かわら版/令和4年10月第1面》

全国の各寺においても、法要に合わせて鐘が撞かれ、存仁寺からも藤谷総代、井関さんご家族でご縁にあわれました。







