とあるインターネット動画を見ていての話ですが、黒澤明監督の映画で「葬式は本来めでたいもんだ」というセリフがあったそうです。
これを見て、もう何十年も前の母方実家の法事でおつとめいただいた住職の読経後の説話で、
「どうしてお通夜などで人が亡くなったのに参席者に酒や寿司など食事を振る舞い、まるで宴会のようにもてなすのか。」
という話を思い出しました。
理由は「急遽のタイミングにも関わらず足を運んでいただいた謝意的な意味もあるが、日ごろ無沙汰している親族、知人等が集まる機会を故人に与えられ、人の再会を故人への感謝で故人と楽しむもの。」というような話でした。
私がまだ未成年で、死生観、宗教観などまったくわからない頃の話で、弔いなのに宴会っぽく賑やかな雰囲気の違和感がザーっと洗い流されたようにはっきり覚えています。
当寺HPに携わり、真宗は「死=終わり」ではなく「浄土への旅立ち」という(めでたい事という私の受け止めですが)考え方を知り、それならば「悲しみ」より「偲び、感謝」が先に立ち、故人も望む形に代えられ、秋川雅史さんの「千の風になって」の歌詞などにも人の死が意味するものを理解できるように思います。
私も父を亡くし半年が過ぎましたが、与えられるばかりで、これといった孝行もできず旅立たせてしまった父に
「後悔と同じくらいの感謝」とともに「『めでたい機会』をもう少し遅らせて欲しかった。」と文句を言う自分が居ます。




