(1月1日・其の1より続)
阿弥陀さまの光は智慧とあらわし、仏法(仏の教え)とも示されます。
光は闇を照らすはたらきでありますから、仏法は私のいのちを、生きることそのもののすがたを照らし出していくものであります。
経典ではそれを「浄土敎」と示してくださり、浄土のみ教えが私の生まれてきた意味と生きることの意義を照らし出してくださってあります。
『正信念佛偈』には「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華 」
(一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者と言えり。この人を分陀利華と名づく)と親鸞聖人が讃えられました。
阿弥陀如来が、この私を讃えてくださってある、一人ひとりはかけがいのないいのちであり、一人子のようにいつも私によりそい、いのちをともにしてくださっているのです。
心配で、心配でならん私の存在であるからこそ、南无阿弥陀佛と声にあらわれた仏さまのすがた、喚声です。
その如来の願いを聞き受けていく中に、いのちの帰趨、歩むべき方向を浄土と示してくださってありました。
ともに仏法を聞かせていただきましょう。




