先月のあどみん帖「命の矛盾」に続く話です。
先日、自動車の運転中に豚を運ぶ畜産業者さんのトラックを見ました。”出荷”のための運搬だったかもしれません。
前置きとして、わたし管理人には猫4匹。人でなくとも“命”というカテゴリーを日々身近に、ペットではなく家族として生活しています。
そのせいか、この豚たちの光景が想像通り出荷だとすれば、「豚たちは何も知らず、間もなく精肉場で姿を変える」というものの見方をしてしまいました。
だからといって畜産業者さん、精肉業者さんを否定することもなければ、直接的に命を相手にする事への少なからずの思いを持たれ、食する人が生きるための尊い仕事と敬う気持ちばかりです。
私も普段ではそんな事も半透明に、食欲や満足だけを求めた先で、豚、牛、鶏などの食用肉をスーパーで買う、焼き肉店に入る等で食べている。
「精肉された肉だから食べられる」という理屈は一般的と思いますが、ひとたび大災害などで食料に貧する状態にもなれば、「生きている豚を捌いてまでは食べられない」と行動できるだろうか?。
おそらく捌いたことが無くとも、空腹が自他問わず目的が先立つものと、想像には易いと思います。
先月は“自己の命”、今月は“他の命”について。そこには必ず選択自体が困難な事象が含まれています。
ただ共通して言える事は、「どちらの命も良くも悪くも関わってゆく」という、やはり矛盾を含むテーマであると感じます。
どうあれ命に真摯に向き合い、自己であれ他であれ命に最大の敬意と感謝を払うことが、生きる上で最も大切なことではないか。
と、偶然見かけた光景からも、自分なりにわずかながら学びがあったような気がします。




