四日市市・信明寺の日置宗明師にお越しいただき、無量寿会の報恩講法要をおつとめ、ご法話のご縁をいただきました。
「報恩講は親鸞聖人のご命日の法要で、お念仏のみ教えにであえたお互いが、あらためて聖人に対して『ありがとうございます』とお礼を申すご縁です。
お礼を申すには、いただいたものを知らなければお礼を申すことができません。
浄土真宗は、阿弥陀さまの「念佛往生の願い」を聞いていく教えです。
阿弥陀さまは私たち一人ひとりにあなたはお念仏申して生きて、浄土に生まれるいのちなのだよと、願いをかけてくださっています。
だから、必ずお浄土で「倶会一処」とあわせてもらうのです。

これが阿弥陀さまのあたえてくださったいのちの世界です。
そして、南无阿弥陀佛とは、名号であり、名のりであります。
名前を聞くことによって安心を覚えるようにと、如来さまが届いてくださいます。
親が子どもに『お父さんだよ、お母さんだよ』と名のっているから、子どもは『お父さん、お母さん』と呼ぶようになる。
このいのちにとどいてくださる喚び声を私が称えさせていただき、南无阿弥陀佛を聞いていく、名号が称名となって出てくださっている。この人生をご一緒してくださる仏さまであります。」
と、熱く語ってくださり、会員皆さまとありがたいひと時を過ごさせていただいたことでした。
本願寺派では毎年千鳥ヶ淵にて全戦没者追悼法要が勤修されます。
44回目を迎えた今年も法要にあわせて、全国で「平和の鐘」が撞かれました。
ライブ映像に合わせて一人ずつ思いを持ちながら鐘を撞き、本堂で保地さんの調声で「正信偈」のおつとめと住職の「兵戈無用」(ひょうがむよう)、武器も兵士もいらない世界のお話を聴聞しました。
お茶タイムでは保地さんがご尊父を戦争で亡くされたことから、今日鐘を撞いたこと、合同墓に戦死者の写真が収めてあること。本前でおつとめのご縁にあったことの思いなど「私にとってもありがたいことでした。」というお話しに続き、おひとりずつ思いを聞かせていただきました。
生まれて間もなくのご尊父の戦死。幼い頃の自分、配給の思い出や、叔父がビルマからボロボロになってでも帰って来れたこと。
小学校の夏休み8月9日が登校日で、映画を観たり話を聞いたり、原爆資料館を訪れた際の生々しい戦争の記憶、防空壕が残っていたことなど、不戦へのそれぞれの思いなど話され、尊い例会となりました。
流行禍で中止、延期続きでしたが、そろそろ蓮の見頃ということもあり、愛知県の蓮の産地である愛西市を訪れ、久々の開催となりました。
往路、木々の蝉時雨の中を三重、岐阜、愛知のそれぞれ交わる輪中にある三川公園に立ち寄りました。
ここは揖斐、長良、木曽川の3つの川が合う処。昔は川の氾濫がよく起こり、江戸時代に薩摩(鹿児島)の人々が駆られ、様々の苦難を越えた治水工事が行われました。
それ以降も何度も工事は継続されますが、工事を終えた方々が土地を求め、当寺所在地である現在の津市芸濃町椋本の地に辿り着き、椋本東部地区に「豊久野」(とよくの)と名付けたと聞いたことがあります。こんなゆかりもあるようです。
公園内に保存される商家には大きな仏壇が備えられており、可動式で、川の増水の際2階に上げる仕組みとなっているそうです。
浄土真宗のみ教えを依り所にされていた往時に思いを馳せ、公園から出発。
蓮街道を車窓から眺め、蓮田を見学できる場所に移動して散策、観賞。
お昼では蓮料理の御膳を美味しくいただきました。
ところで、蓮の咲く場所は何処でしょうか?
蓮はきれいな高原の水の中には咲きません。なんと泥田の中に清浄な花を咲かせるのです。
喩えるに、私たちのこころは常にドロドロとした煩悩の中にありますが、その煩悩の泥に染まることなく、如来はその煩悩にこそ清浄なる信心、念佛の花を咲かせくださるのです。
蓮は花が咲くと同時に実が有るように、信心・念佛の花が咲くままが、浄土へ生まれ仏とならせていただく身と定まることをあらわしてくださっています。
宗祖降誕会をおつとめさせていただきました。
「お正信偈」十二礼節・念佛・恩徳讃・回向のお勤めの後、「降誕」についてのお話です。
何が真で何が嘘偽りかわからないこの世に、私をいざない、導くために真実の世界から降りて、くださったお方が親鸞聖人であります。「降誕」とお敬いさせていただいているのです、とその意義をあじわいました。
今日のティータイムはご本山の銘菓「松風」と紅白の麩菓子です。
その後聖人すごろくゲームです。順番にサイコロを振ってマスを進めて、親鸞さまご一代の節目の場所では、イエス・ノー クイズです。
例えば、まずはお誕生のこと「お誕生1173(承安3年)5月21日、お名前を牛若丸という? 90才にてご昇天、おかくれになりました?など
・・・。あれっ!という方も、引っかからないでください。
最後は初夏の歌、宗祖降誕会の歌をあじわいました。
無量寿会はなまつりのご縁に遇わせていただきました。
「しんじんのうた」のおつとめに続き、会員さんの灌仏、ティータイムの後は、若院よりパネルシアターです。
総会では昨年度の活動決算の報告がされ、ティータイムのお菓子についていた番号札でお一人ずつ参加の方々にお花と、丸橋さんお手製の鶴のお花をいただきました。
一人ひとりの人生で、こうして一緒に仏さまのみ教えを聞き、阿弥陀さまが常に私にご一緒してくださっていることを、お念仏申す中にあじわい、出会いの時間をともにする無量寿会例会を大切にしてまいりたいと、灌仏会にて甘茶をかけながら感じたことでした。
みなさん、生まれてきて、ありがとう。であいができて、ありがとう
今年も春彼岸の中、法要をおつとめさせていただきました。
折から土曜、日曜日には多くの方がお墓参りでお寺にお参りをされますし、ニュースなどでもお参りの様子が報じられます。
「お彼岸さんやで、お参りに」ということの思いなのでしょう。そのことは、「彼岸」という言葉が単なる言語でなく、私たちにお参りを促すはたらきとなっていてくださるのでしょう。
日ごろは仕事や、生活など時間に追われて中々お参りする、手を合わすことも忘れがちでありますが、そんな私が1人の方、家族の方とともに手を合わさせてくださっているのでありましょう。
お通夜や葬儀、法要で焼香するのも仏さまが、残された者に阿弥陀さまに出遇う、手を合わせてくださっているのであります。

2月15日はお釈迦様の涅槃会。
2月例会にあわせておつとめさせていただきました。
35歳で悟りを開かれブッダとなられたお釈迦さまは、45年もの長きに亘り各地でこ説法され、人々の悩み、悲しみに寄り添われました。
また、多くのお弟子や大衆に阿弥陀如来のおはたらきを説かれるなど安らぎを与え続けていかれました。
80才になられたお釈迦さまは、故郷であるヒマラヤの麓カビラの国に帰還されますが、病を患い故郷近くクシナガラまで来た時に、いよいよ死期を思われ沙羅双樹の木の元に静かに横になられました。
いつもおそばに仕えてきたアーナンダ(阿難)の哀しみの姿に
「悲しんではいけない、この世は無常であり、どれほど愛しい者であっても別れるべき時が来る。自らを依るべとし、これまで説いてきた仏法を依り所とするのだ。怠ることなく仏道を修せよ」
と、語られました。
お釈迦さまの周りにはいつしか人々が集まってきました。
それだけではなく、鳥も、獣も、動物たちもお釈迦さまのもとに集ってきました。
「衆生のいのちは平等である」その根幹を示す姿でありましょうか。
そして、お釈迦さまは安らかにお浄土へと還られました。
休憩のお茶タイムでは美味しい草団子をいただき、「早春賦」「春よ来い」「うれしいひなまつり」「どこかで春が」など春の歌を歌うなど、楽しい時間はいつもあっという間です。
今年の新年会は4年ぶりの会食でした。
皆で和気あいあいと食事をいただく、嬉しそうな、楽しそうなお顔がみられました。
食後はなぞなぞ、早口言葉、百人一首(姫めくり)などのゲームや、井関会長の余興では手拍子で南京玉すだれの口上と、あっという間に過ぎる時間となりました。
高齢化などが進み会員さんも少なくなってまいりました。
皆さまもぜひ、いまあえることの大切さ、今日であったこと、共につどえることの嬉しさ、尊さを味わいつつ、無量寿会での有難いひと時を過ごしてまいりましょう。




