出遇いのなかで(其の2)

(8月1日・其の1より続)

 また、昨今様々に親子の悲しい出来事が報道されているように、私たちは縁にふれれば、たとえ愛しい間柄であっても、互いに傷つけ合わなければならない危うさを持ち合わせています。

 「しあわせ」とは、であいによって開かれていく世界であり、阿弥陀さまの願いが私の人生にぴったりと合わさっていくことを「仕合わせ」というのではないでしょうか。

 それは、自分だけの利益を求め、怒りや貪りの煩悩に振り回されている私が、阿弥陀さまの願いとの出遇いによって、たくさんのおかげさまの上に成り立っているいのちであったと気づかせていただき、おかげさまと、お恥ずかしいとの心が開かれていくのです。

 そして、このいのちが、死んでいくいのちではなく、仏として生まれていくいのちであると聞かせていただく中に、山あり谷ありの人生であるけれども、生まれさせていただいて、生かされてきて、ありがたいこと、尊いいのちでありました。
 と、手が合わさっていく人生が開かれていきます。

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