開基と歴史

▼椋本の巨椋         

 はじめに
 所在地である津市芸濃町椋本(つしげいのうちょうむくもと)は、津市北西に位置し、樹齢1500年以上とも言われ、天然記念物に指定される巨椋が地名の由来とされる。

 その巨椋より数百メートル、椋本の地とともに浄土真宗開祖の親鸞聖人、本願寺中興の祖と呼ばれる蓮如上人をゆかりの人物としてルーツを刻むのが
当寺「存仁寺」です。

 
 存仁寺の始まり
 当寺開基に至るエピソードとして、「椋本根源記」「河芸郡史」等によれば、さかのぼること750余年。文永元年 -1264年- が当寺の始まりとされています。
 文暦元年 -1234年- 親鸞聖人が伊賀へ向かう途中この地で道に迷った折、蓑屋神社(現:椋本神社)の祭神が道案内を買って出られたそうです。
 その光景を見た村人は親鸞聖人をよほどのお方だと察し、法談を聴して念仏の暮らしをはじめた者たちが道場を擁し、親鸞聖人の絵像のもと念仏に勤めた。

六字名合◀[六字名号]

 「存仁」という寺号は、寺の前進の道場が智積(ちしゃく/三重県四日市市)にあり、そこへ蓮如上人が立ち寄られた折、「仁を存する寺なり」と直筆の”六字名号”(当寺に所蔵)とともに寺号を賜ったとされるものと、

 「法喜山存仁寺開基及び山田姓系統伝」によれば、先記、智積の西勝寺教尊の四男”教味”により椋本に建立され、蓮如上人に”六字名号”とともに「存仁」という寺号を賜ったとされています。

 さらに史実として、三重県四日市市の桜地区(上述「智積」の所在地域)にある桜郷土史研究会様のサイトで、その詳細が明らかにされています。
  桜郷土史研究会様「教尊法師の碑」へ 

(きょうそんほっしのひ)

 
 いずれの諸説、史実においても親鸞聖人、蓮如上人が当寺開基に深く関わっていることは共通した歴史となっており、前住職はこう語っています。
 

「聖人のご法談が念仏を根付かせ、     
そこに存仁寺ができるご縁があったのでしょう」

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