ユルサレテキク

 中秋の名月、どこからでもまるまると夜空に輝く月を眺められるといいですね。

 「嗚呼、きれいなお月さん」と思わず声が出たのは、月にであったからです。月の光を見、光りがとどいていることを受けたのですね。
 南無阿弥陀仏・ナモアミダブツとお念仏申されるのは、阿弥陀さまのおはたらきがいつでも、どこでも、何をしていても、この私に届いている、念仏申させていただく、聞かせていただいている証しなのです。

 
 いよいよ秋が深まっていきます。秋といいますと、皆さんはどんな秋を思うでしょうか、私は食欲の秋(年中)です。
 他にはスポーツの秋、読書の秋、芸術の秋、音楽の秋、など昼間過ごし易くなった陽気と、夜長を楽しむ中に体を動かしたり、観たり、聴いたり、読んだりと感性を磨く方もおられるでしょう。

 そこにもう一つ「聴聞の秋」を加えたいものです。そろそろ報恩講も始まる時節ですからね。
 「聴」も「聞」もキクということですが、「聴」とはキキニイク、「聞」はキコエル、つまりは向こうからキコエテクルモノをキクことなのです。

 親鸞聖人は
「仏説無量寿経に「聞」とあるのは、われわれ衆生が、本願の起こされたわけとその衆生をすくうはたらきを聞きひらけば、疑いのこころがなくなる。それを「聞」というのである。」

(『浄土真宗聖典―勤行集―』一九一頁)

とおっしゃいました。

 阿弥陀仏の本願が何故起こされたのかということです。それは私がここにいるから、私という存在があるからです。生きるなかに様々な苦悩を抱え、煩悶と生きる、生死(まよい)を迷いとも気づかない、我がいのちの在り様をほってはおけないからです。
 そして、そのままのあなたをすくうと私にきてくださることを聞き受けることを「聞」といい、「そのまま、信心をあらわすことばとなる」のであります。

 聴く中に如来とであい、聞く中に自分自身とであうのであります。

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