今年のお盆は、流行禍の不安の中、それでも各家々をお参りさせていただくことができました。
「お盆のことやし、年に一度参っていただけるのが、有難いことですわ、暑い中御苦労さんです」と、お茶やジュースなどご用意され、一緒に『重誓偈』のおつとめをいただいたことでした。
初盆を迎えられたお宅では「親戚が皆集まると「密」になりますので、内々だけでお参りします」と家族兄妹でお勤めされたところが多かったことでした。
灯籠に火を燈す火入れの法要、14日の盆報謝づとめ、16日の灯籠送りまで、ご大儀さまでした。
以前は、14日の報謝づとめも、近所(組)の方々も参いられたので、20分刻みで、『正信偈』『和讃』三首引き・『ご文章』拝読、お茶の香をいただくと、次のお宅へ、近所の方も一緒に続いて憑いて参られること、他寺のおつとめも重なると家族が手分けして何軒もお参りされることもありました。
また、歓喜会・灯籠送りでも、13時より浄源寺さん、13時半より西方寺さん、14時より存仁寺と続いての法要が厳修され、参拝者で本堂もあふれていました。今年は密を避けるため2部に分けておつとめさせていただきました。
阿弥陀如来の本願のはたらきによって、浄土に生まれ仏となって、この世に還り私を導いてくださる。
仏は不可思議光如来、浄土は無量光明土。光は、無明の闇を破るはたらき、仏と育てるはたらき、包み、安らぎと歓びをもたらす。
それを形と表わしたのが灯籠です。仏光は、いつまでも消えることなく私たちを、すべての生きとし生けるものを照らしてくださっています。
8月15日(土)。朝5時45分いつもの時鐘を撞くとともに、今日はここから安穏の鐘・平和の鐘。
お墓参りに来られた方にもご案内し、早速鐘撞きのご縁でした。
正午は総代さん、有縁の方々と共に響く鐘の音に、追悼の念と、今あるいのちの在り様を仏法に問うご縁をいただきました。

本堂でお勤め後、戦没者の遺影を合同墓に収めさせていただきました。
時間の流れる中を生きるお互いのいのちは、過去から現在、そして未来と続いています。
すなわち「無量寿」の中にある存在なのです

「千人の~♪ 若き瞳の~♪ ほほえみと♪ むかえるわれのなごめる胸と♪♪」
「音が高いなぁ、出やんわ、、、」
三浦明莉さんの『うれしきは』を練習しています。

この詩は九条武子さまの歌集の中から三浦さんがセレクト、曲をつけられた心にしみる歌です。
どこかでご披露できますように、しっかり歌い込みたいと思います。
盆 汁
旧正月と旧盆の16日親鸞聖人のご命日に各組順番に集い、お斎を拵えて、お講を勤めます。
この日は、新町・新道組。しかし、流行禍感染の心配もありお斎は中止、お講のみが勤まりました。
『正信偈』『和讃』六首引きに続いて住職法話。

お講をつとめる意義は、組の方々の親睦と仏法にあうことのご縁です。
受け継がれてきたいのちのであいと、この行事を通じ、阿弥陀如来の願いの中に生きる私たちであることを聞かせていただきます。
仏教壮年がどういった活動をしているのか、会員さんの中でも知っておられるようで、そうでなかったり。
流行禍の影響で、バーベキューや出かけることも難しい中、何かできることはないかと、それでは会員報を発行してはどうだろうと、役員さん方で編集会議が持たれました。
仏教用語も身近に使っていることもあるし、この言葉が仏教からきておったなんて知らなかったなあ、
仏事や作法もいろいろあるなぁ、会社の朝礼でこんなこと話したり聞いたりする、など和気藹々を経て、校正会議、ついに発刊となりました。
見事な出来栄えをじっくりお読み下さい。
《存仁寺かわら版/令和2年9月第1面》




