今年もまた新年を迎える事ができました。「おめでとうございます」と年始の挨拶をかわされます。
やがて日が過ぎると「あぁさぶー(寒い)、早く春にならんかな」とつぶやく日々。
やがて暖かくなり、花が咲き、桜を愛でる。
やがて暑さが増し、「こんな暑いのかなわん」と愚痴の日々。
やがて秋に、そして冬にと、春夏秋冬、四季の変化を繰り返す中に、それぞれの人生を生きているいのちがあります。
周りの移り変わりの変化は、自然のはたらきと受けとめられますが、自分の身体の変化はそう素直には受けとめられないものです。
生まれてきたこと、成長してきたこと、いつしか老いという道理の真っただ中に置かれている私です。
また、病気を抱え、病気になる心配を抱き、ましてや死と隣り合わせでありながら死する命を思わない自分がいます。
しかし私のいのちも自然の中にありました。いや、すべての生きとし生けるものは自然のはたらき(大いなるいのち)の真っただ中なのです。
『自然』とは「 「自」 は、如来 「おのずから」 ということであり、 「然」 は 「そのようにあらしめる」 という言葉です。
「そのようにあらしめる」 というのは、 阿弥陀仏の本願によってそのようにあらしめることを 「法爾」 といい、本願のはたらきは、行者のはからいでなく、 南無阿弥陀仏と信じさせ、称えさせ、浄土に迎えようとはたらいてくださっているのです。」
と、親鸞聖人は、「自然法爾」と説き示されました。
私を生かしておる 力というものに
帰っていく歩み それが仏道
私は生まれ死んでいくだけの空しいいのちではなく、いつも阿弥陀如来の自然のいのちのはたらきの中に生かされ、浄土へと往生させていただくいのちであったと転換、目覚めていくことを、今月の法語カレンダー、真宗大谷派の宮城 顗氏(1931~2008)のお言葉から味わいます。




