2021年も残すところ1カ月を切りました。
「早い、ハヤー」とあらためて時の流れていくことの速さを痛感します。今年もまた流行禍に翻弄された1年でした。
でも、一人ひとりのいのちの物語の上では、嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、生きる厳しさなど様々な出来事があったことでしょう。
そして、「今日」という流れゆく時間の一端に生かされている私がいます。
昼間の日差しがまだやわらかく感じられるが、あっという間に暮れていくように、毎日天気が変わり、雲の形がすべて違うように、木々の葉が紅葉し、落ちていくように、常に移り変わる「諸行無常」(しょぎょうむじょう)の世を生きるお互いであり、「生死」(しょうじ)のいのちを抱えている私であります。
だから、あたりまえの毎日でなく、同じ生き様の繰り返しでもありません。今ここには「あること難き」私が存在しているのです。
そしてそこには、私にとって良きも悪しきも様々の「縁」にもようされているいのちであり、そのままの私が阿弥陀如来に大悲されているいのちでもあるのです。
「五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ」
(高僧和讃)
仏法に遇わせていただくこと、仏法を聞かせていただいていることは、そうした「我がいのちの気づき」です。
今月の大谷派の僧であった言葉をうかがった時に「あゝそうだなあ」と新鮮さと言葉の深みを思います。![]()
できれば毎日、自分に言い聞かせていこうと思います。
「なんまんだぶ なんまんだぶ」ありがとう ありがとう。




