長年お世話になり、お育てをいただいたご老僧がご往生なさいました。
幼い頃から仏さまにであうことが大切。
一人一人の子を大切に。
どの子もほとけさまの子である。
地域の方々とつながりながら。
と、お寺での子ども会はもちろんのこと、先代住職の志を受け継がれ託児所や保育圓(現こども園)をなさっており、物静かで人の話をじっくりと聞かれるお方でした。
お通夜、葬儀ではご子息である現住職が
「父はひたすらお法(みのり)を伝える道を歩んできました。今日はたくさんの方々と「お正信偈」のおつとめをさせていただき、父からは、ほんとうの喜びとはこのことだよ、と語りかけているようでした」
と御礼の挨拶をされ、私にもその声が届いているように思えました。
「きみょうむりょうじゅにょらい なもふかしぎこー ほうぞうぼさついんにんじー ざいせいじざいおーぶっしょー・・・」
皆でつとめる「正信偈」の声、親鸞聖人が感嘆の思いで詠われたであろう六十行百二十句の言葉には阿弥陀如来のおすくいが、浄土真宗の全てがこの言葉となって顕現してくださっているのです。
そして、そのすくいのはたらきである「南无阿弥陀佛」は、一人ひとりのいのちの上にとどいてくださる、名のりであり、はたらきなのです。




