いのちを看取る

先日、友人からこんな相談を受けました。
「長年一緒に過ごしてきた犬が病気になって、苦しそう。看病の疲れで家族もぎくしゃくして…飼ってよかったんかな。この家に来て幸せやったんかな…。」

 飼い犬から「入院は寂しいから、家が良い」という声を明確に聞くことはなく、「このこはきっとこう感じているかな」と犬の様子から、周りの家族が考えていくしかできません。

 ひょっとしたら「ああした方があの子にとってよかったんじゃないか。」と、何度も家族の中で考えたそうです。もう回復して元気に走り回るこどはなく、少しでも安静に命を終えるための環境を整えることしかできません。
通院、投薬、排泄の世話で、疲労をかかえながらも犬と人間、静かにいのち・老いと向き合う時間の中で、「であえてよかったね。うちに来てくれてありがとう」と、みんなが確認することができたそうです。

「往くいのちのすがたや介護を通して育まれた家族の絆もあった。」
と、話してくれました。
もちろん、当事者にしかわからない介護の辛さもあります。
決してきれいな言葉だけでは、終わらせることが出来ない複雑な思いもあります。

「早く楽になったら犬自身も・・・」と思ったこともあるそうです。 ですが、それは私たち人間がどうこうできるものではありません。
人間がはかることができない大きないのちそのもののすがたです。私が「いのち」をどうするかではなく、いのちが私を生きているのです。人と犬、姿のうえでは違いはありますが、大きないのちが流れているのです。

 
 すべてのいのちに「必ず仏にする」と願をかけてくださる阿弥陀さま。
「もう直接手で触れられない寂しさはあるけど…またあっちの世界で」
と、手を合わせる友人のすがたがそこにはありました。

 
 私たちはその世界をお浄土といただいています。

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