コロナという言葉が浸透し始めてから、はや2年。
ようやく屋外でのマスク規制が、緩和に向かう動きが見え始めてきました。
この間、あたりまえの生活が“あたりまえではなかった”と多くの方が口にし、ニュースやワイドショーなどでコメントされたような印象があります。
それほどまでに私たちは、日常の“おかげ様”を“あたりまえ”として受け取って生きています。
昭和のはじめ、鳥取県に源左というお念仏者が居られたそうです。
ある日、畑仕事をしていると、夕立が降ってきました。ほかの畑仕事をしていた方々と、大きな木の下で雨宿りをすることに・・・。
「いやらしい雨だ」「これじゃあ畑仕事もできん」村人達は、口々に愚痴をいいます。
その時、雨でずぶぬれになっている源左さんが、お念仏をしながら「ありがたいありがたい」と言っているではありませんか。
周りの人が不審に思ってたずねてみると、「この雨ではじめて気づいたが、鼻が下向いててよかったなあ」と、答えたそうです。
もし鼻が上むいてついていたら、雨が鼻に入ってたいへんです。
周りの人は、「何をあたりまえのことを言ってるんや」という顔でしたが、源左さんは嬉しそうにニコニコしておられたようです。
思い返してみれば、あたり前のありがたさほど、私たちは鈍感です。生きていることの不思議、生まれてきたことの不思議ささえ、普段は当たり前としてとらえています。![]()
日々をありがたくいただいて生きる、大切なことに気づかせてもらえるお育てこそ、お念仏のお育てでありましょう。




