一人がためなりけり(其の2)

(2月1日・其の1より続)
 なぜ「すべての命」と誓われたのか。他でもなくこの私一人がその救いから漏れてはならないというお示しであり、裏を返せば、この私一人のためのお救いであったということが示されているのです。
 親鸞聖人はそのことを「親鸞一人がためなりけりとお示しになったのです。


 大阪に行(ぎょう)信教校(しんきょうこう)というお坊さんの学校で教鞭をとられていた”利井興弘(かがいこうぐ)”という先生は、正月にお重箱を持って運ぶ人の姿をみて「ありがたい ありがたい」と拝まれたそうです。
 何がそんなにありがたいのですかと尋ねられると、

 「お重箱は一番下に指がかからないと全てが持ち上がらない。阿弥陀さまのお救いは、一番下のものを目当てにしてある。一番下とは他でもないこの私だ。阿弥陀さまのお救いの目当てはほかでもない、この私であった。それがありがたいんや」
 と話されていたそうです。

 今月の法語は稲城選惠(いなぎせんえ)師の「世の中に最も度(ど)し難い(救いがたい)ものは他人ではないこの私」という言葉でした。
 生まれて此の方いろんな経験をし、自分の物差しをもち、これはいい、これは好かん、とたくさんのものを判断してきました。

 また、社会の物差しの中で、例えば、平和の問題、人権の問題、健康の問題などにもたくさんの意見があります。
 その中で、いつのまにか「大切ないのちを見つめる」まなざしを失い、自分も傷つき、他者を傷つけているのが私たちではなかったでしょうか。

 阿弥陀さまの救いの目当ては、他でもない、最も度し難いこの私でありました。
 そのお救いは、お経の言葉となり、南无阿弥陀佛のお念仏となり、私を真実のあり方に導いてくださっているのです。

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