(7月1日・其の1より続)
とくに、インターネット、スマートフォンの普及とともに、沢山の情報を瞬時に得ることができるようになった半面、誤った情報に振り回されたり、人生の指針を失っているのが私の姿なのでしょう。
その中で、聖徳太子は
「世間(せけん)虚仮(こけ)、唯仏(ゆいぶつ)是(ぜ)真(しん) (世俗に真はない、仏法のみが真実である)」
といわれ、
親鸞聖人は
「火宅(かたく)無常(むじょう)の世界はみなもって、そらごとたわごと、ただ念仏のみぞまことにておわします」
と私たちに伝えられます。
仏さまの言葉の中にまことのいのちのありようを聞かせていただくとき、まことではない私の姿を知らされていきます。
若い時はいい、老いたらつまらん。死んだらしまいと私のいのちを見ていくとき、そのいのちはむなしく過ぎていくとしか受け止めていけません。
その私に、「若い時は若い時ですばらしい。老いていく中にも、尊いいのちの姿がある。死んでしまいではなく、仏として生まれてくるいのちであるから、どうかお浄土に生まれて来ておくれ」と、
とどいてくださる阿弥陀さまの願いに生きていくとき、本当に輝いていくいのちの姿があるのでしょう。




