言うは後なり(其の2)

(12月1日・其の1より続)

 親鸞聖人は、阿弥陀さまのお徳は私たち人間には「不可思議」であると示されます。
 それは仏さまの徳は、私たちの物差しでは到底測れるものではないですし、同じ次元で考えるべきものではないとのお示しでもあります。

 「南無阿弥陀仏を称えたら救われる」のではなく、南無阿弥陀仏と称える姿が、すでに阿弥陀さまの救いのはたらきの中に摂めとられている姿であり、すでに阿弥陀さまのお徳がわたしに満ち満ちてくださっている姿であるのです。
 そして「南無阿弥陀仏」のお徳について、親鸞聖人は


円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智

 
(えんにゅうしとくのかごうはあくをてんじてとくをなすしょうち)と、お示しくださいました。

 南無阿弥陀仏は「転」じるはたらきがあるのです。
「死んだらしまい」と私の物差しで「いのち」を測っていたものが、「死ぬのではありませんでした。
 お浄土へと生まれされていただくのでした」と転じられ、「ひとりぼっち」と思っていだものが、「決して一人にはしない」との阿弥陀さまの声に、「阿弥陀さまと二人連れの人生でありました」と転じられていくのです。

 仏さまのお徳を知らされるのも、南無阿弥陀仏とお念仏を申させていただくのも、先に阿弥陀さまが私を摂めとってくださった後でありました。

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