いのちにとどく(其の2)

(3月1日・其の1より続)

 しかし、悲しみの前に立ちすくむお互い様を皆漏らさず、そのお慈悲の中につつみ、身を引き裂かれるような悲しみ、心をつぶされるような苦しみの中にある私を目当てとして、如来は声の仏、名乗りの仏になろうと願われたのです。

 悲しみの中で、助けを求めるよりも先に、「必ず助ける」との如来の言葉が私たちに向けられています。

 その如来の名号(いのちの叫び)は、私の悲しみを知り抜き、私よりも先に涙してくださったお姿が南無阿弥陀仏なのです。
 

悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ
涙は涙にそそがれる涙に助けられる

 
 と、歌われたのはお東の金子大栄師でした。

 まさに悲しみの地獄の中にあって、ただ一人、私の悲しみを知り抜き、涙を流してくださる如来さまが「南無阿弥陀仏」と私をめあてとして、いのちをかけてこのいのちに飛び込んでくださいます。

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