(5月1日・其の1より続)
また、昨今様々に親子の悲しい出来事が報道されているように、私たちは縁にふれれば、たとえ愛しい間柄であっても、互いに傷つけ合わなければならない危うさを持ち合わせています。
その中で、親鸞さまは、阿弥陀さまの慈悲のお心のみが、末通った願いであり、生死を超えていく教えであるとご生涯の中で味あわれていかれました。
阿弥陀さまの願いは「我が子よ」と私たち一人ひとりに向けられた願いであり、飽きることなく、諦めることなく、たえず喚び続けられています。
その願いの中で、私たちは、仏となるいのちを育まれ、仏のさとり浄土へと導かれているのです。
今生では人として親子の縁をいただいたものであっても、阿弥陀さまの前では、同じほとけの子のいのちであります。
誰しもがいのちの終えていくことを、順番通りと願いますが、それもまた末通らないことが娑婆の厳しさです。
しかしながら、同じ阿弥陀さまのはたらきの中でであわせていただきました、同じ阿弥陀さまの子でありましたと、互いのいのちを見つめていく中に、生死を越えたであいをいただくのでしょう。
煩悩を越え、闇を越え、生死を越え、常にこの私に通う仏の願いが、人生の大いなる燈火となり、この私のいのちを支えてくださいます。




