みてのまんなか(其の1)

 以前電車の中で、東井義雄さん(1912~1991年)の本を読んでいて、いたく感動したことを覚えています。

 東井さんがある広島の僧侶仲間から、漢字を作ったという手紙をもらったが、その僧侶仲間はどう読んだらいいか見当がつかない。東井さんならどう読まれますか?
 ということが紹介されていました。

 その漢字とは、生の最後の「一」と、死の最初の「一」が一体になった漢字です。
 仏教では生死を「しょうじ」と読みます。一般に「せいし」と読む場合は、生と死は別々のものがらを指します。
 生きていることと死んでいることは別々の状態という意味です。

 ところが、「しょうじ」と読む場合には、生は必ず命終えていかなければならない「死」を常に背負っている状態を意味します。
 釈尊や親鸞聖人が出家された動機は、今生きている命が、必ず終えていかなければならないという、いのちの厳しい現実に対して真正面から向き合われたからでした。
 だからこそ、生は死を背負っている姿ということで、「しょうじ」と読まれたようです。

 また、生は、老や病といった苦悩も同時に抱えているので、生老病死で一つの漢字もできるかもしれません。
 生きているということは、老い、病、死を抱え、あるいは背負っているということ、そしてそれこそまさに「いのち」の姿なのです。
 「いのち」は「命」と書かずに、「生老病死」と書くほうが適切かもしれません。

 

(10月16日・其の2へ続く)

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