自由な私、大悲の如来 (其の2)

(5月1日・其の1より続)

 さて、阿弥陀如来のおはたらきは、「かの世界を観ずるに辺(へん)際(さい)なし、究竟(くきょう)せること広大にして虚空(こくう)のごとし」と、すべての衆生(生きとし生けるもの)の善も悪をもみそなわしたがゆえに、どのいのちも救わずにおかないと慈悲と智慧のはたらきを『南無阿弥陀仏』の言葉におさめて、誰もが称えられる、聞こえる、心にも思われる仏さまとなり、いたりとどいてくださってあります。

 誰もがそのいのち、自由に生きられるように、すこやかに心豊かに生き往くために、願いのありったけをこの身にかけどうしにおかけくださってありました。
 南无阿弥陀佛とお念仏称える生きざまは、如来と共に、その願いの中を朋(とも)に生き往く方々とつながり合い、支え合っていくことの広がりをも教えてくださいました。

 それは、自分の殻に閉じこもり、自分に執らわれてしまいがちな私の心を開放してくださるはたらきでもあります。

「わしの貧(とん)欲(よく)皆とられ 世界はわしがなむあみだぶつ」
「ええなぁ 世界虚空が みなほとけ わしもその中 なむあみだぶつ」
「南无阿弥陀佛 称えても称えても また称えても 弥陀の喚び声 南无阿弥陀佛」
 と島根の妙好人と呼ばれた浅原才一さんは念仏に生きるものの広さと深さをその歌にあじわい、その詩を読む私の心にもとどいてくださいます。

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