会合の終わりに坊守さんが、
「私は幼い時から阿弥陀さまが見てござる・聞いてござる・知ってござると聞いてきました。
それは監視をされているのではなく、どんな時でもこの私を見ていてくださり、また嬉しい時も、悲しい時も私の思いを聞いてくださってあり、私のことを何もかもお見通し、よく知ってくださる阿弥陀さまなのです、皆さまも同じなのですよね。」
と話されました。ああ、そうだ、そうだったと改めて新鮮に聞かせていただくあじわいでした。
今まで法話の中で何度もお話をさせていただいてきたことですが、「皆さんは仏さまを普段”ほっとけさま”にされておられませんか?」
日頃は生活や仕事、趣味や娯楽など、時間に追われながら、仏さまのことはすっかり忘れています。
でも、何か困りごとがあったり、不安なことがあったり、病気になったりすると、思い出したように仏さまにすがったり、お願いをしたりすることがあります。
また、大切な方の命日などには手を合わせることもあるでしょう。
しかしその心持ちはというと、私にとって「役に立つか役に立たないか、必要であるか必要でないか」といった自分を中心としたすがた、凡夫の心で計ったものの見方でしかないのかもしれません。




